80歳を越えた祖母が、この間の実家に帰ったときに小さくなっていたことは衝撃だった。
人って、小さくなるんだ、と実感した。
彼女が「いつ死んでもいい」と思えるようになってから、この先いつまで生きるのかは誰にも分からない。
「いつまで生きたい」と、「いつまで生きられる」は違う。
そんな祖母と母は私が大学で一人暮らしを始めてから2人暮らしで、かれこれ14年間になる。
そして、ここ5年近くは一泊二日の外出でさえも母は躊躇している。
* * *
私が高校生のときに、祖母は一度死にかけた。
福島の寒い冬の朝に、トイレに立って廊下を歩いている最中に突然倒れ、そのまま意識不明で救急車。
私が朝ご飯を食べていたら突然「ドーン!」と音がして、ビックリしてテーブルから廊下に走っていくと、祖母が倒れていた。
目は半分開いているけど、視線はどこかいってしまっていて、息をしていない!
体も硬直している。
母は救急車を電話で呼んでくれていて、その間、私はおばあちゃんに
「大丈夫?ばあちゃん!しっかり!」ってめちゃくちゃ叫んでた。
『心の中では、私の命を分けるから、神様助けて!!』って叫んでた。
その後、「スースー」と息をしだして、一命は取り留めた!と思った。
結局、脳梗塞で、寒い日の朝に素足で布団から冷たい廊下に出てしまったので血管が萎縮したのが原因とのことだった。
それから、祖母を1人にしておくのは私も母も安心ではなかった。
半身不随等の後遺症は残らなかったけれど、脳へのダメージはあった。
私は学校へ、母は仕事へ行っていたので、ある意味気持ちを引き締めて、覚悟をして出かけていたと思う。
もちろん、毎日覚悟を決めて出かけるようなことはしない。
心のどこかで、無意識的にそんなところがあったと思う。
近所の人たちが温かかったし、お茶飲み友達もいたので、その部分では安心感もあった。
* * *
でも、最近は母は覚悟を決めて出かけている。
何かあっても、それが祖母の寿命なのだ、と親しい方から言われたらしい。
ずっと、毎日祖母のことを気にかけて、自分の人生を楽しみ切れていない部分はあると思う。
出かけている最中に死んでしまったら・・・?
自分の責任ではないかと思っている。
そんなときに、介護をしてきた方からアドバイスを受けたとのこと。
「すでに一命を取り留め、生きて来れたのは彼女の寿命ではなかったから。
母が出かけているときに、もし死んでしまったら・・・
それはその時が祖母の寿命。
あなたのせいではありません。」
介護の苦労をしてきたもの同士の覚悟なのかもしれません。
私も、来月海外だけど、もしそのときに祖母が死んでしまったら?
すぐには戻れない。それも、受け入れる。
私はそう決めた。
そして、自分の道を進む。
私だっていつが寿命かわからない。
体は元気でも寿命はわからない。
(高校生のときに祖母に本当に私の命を分けていたとしたら、寿命は15年は縮まっている…笑)
10月には、母がずっとずっと行きたがっている那智黒石の硯屋さんに連れて行ってあげたいとも思う。
二泊三日は難しいかもしれない。
でも、そこもなんとかしたい。
硯屋のおじさんが生きているうちに会いたい、と母が行っていたから。
まだご健在かは行ってみないと分からないけど、サイトでは今年の1月の他の方のブログでお名前が出ていたので大丈夫だと思う。
10代の頃は、死なんて全然実感の沸かないもので、自分の死を意識して生きたことなんてなかったけど、今は今を大事にしたいって思えている。
今のありがたみがわかるのは、いつか訪れる死を感じているから。
死はネガティブなイメージがあるけれど、生きる活力にもなる。
私の勝手な解釈だけれど、祖母は祖母の魂の目的を果たしたと思っている。
私は既に彼女からたくさんのギフトを受け取った。
人は何らかの使命を持って生まれてきていると思うから、私も私の使命を全うして生きたい(死にたい)。
で、その使命とやらは、何なのだろう?(笑)
使命があることしかわかってない自分もまたよしとして、毎日少しずつ進んでいこう。